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調べたことのメモとか。内容の真偽は保証できません。
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読んでる本に歳星紀年法とか太歳紀年法のことが出てきたんだけども、文章の解説を読んでも何が何だかわからんぴょん…となったので夏休みの自由研究的に工作してみることにした。
【18.09.03】天球の分割について一部追記、修正
紀年法(きねんぽう)とは、年を数えたり、記録する方法をいう。
Wikipedia-紀年法(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%B9%B4%E6%B3%95)
というわけで、昔の中国の人も「どうやって年を数えようかなー」って紀年法について考えたと思う。そんなときに空を見上げると、天球上をだいたい12年で一周する星があった。こりゃ都合が良いぞ、ということでその星―木星を基準に年を数えよう!ということにした。年の基準になる星なので、木星は「歳星」という名前を付けられた。これが「歳星紀年法」。
…だいぶ妄想で補ってる感もあるけど、ざっくりこういう流れで合ってる、はず……
ともかく木星は約12年で天球を一周するので、天球を12のエリアに分割すればおおむね一年に一つずつそのエリアを移動していくことになる。そしてそれぞれのエリアに名前を付けておけば、「木星さんが○○エリアにいた年」で年を記録することができる。この12のエリア分けを「十二次」と呼ぶ。
具体的にはどんな風に分けてたかというと、こう↓
(平面だけで表現できる気がしなかったので無駄に3D。すごく大変だった…)
冬至点が中心にくるエリアを「星紀」として、以下木星が黄道上を進む方向(冬至点から春分点方向、天頂から見ると反時計回り)に「玄キョウ」「娵訾」「降婁」「大梁」「実沈」「鶉首」「鶉火」「鶉尾」「寿星」「大火」「析木」と呼ぶ。
って言っても上の図じゃ名前見辛いですな、というわけで天頂から見下ろすと大体こうなりますの図↓
上記の通り、木星(歳星)はこの円盤(黄道面)上を反時計回りに約12年かけて移動していく。
ちなみに木星の位置はその年の冬至の日にどこにいるかが基準となるらしい。
この歳星紀年法があれば、例えば「歳星が大梁にある年」の2年後の出来事は「鶉首にある年」で表現できることになる。やったー!
ところが、ここにもう一つの天球分割法がある。なんでやねん一個でええやろ。
こっちも十二次同様の12分割なんだけど、十二次が反時計回りに進むのに対してなんと逆向き、時計回りに進んでいく。なんでやねん。
これを「十二辰」といい、さっきの天球図に当てはめるとこう↓
天頂から見下ろすとこう↓
現代でもお馴染みの十二支の皆さんを、「丑」の中心に冬至点が来るように、以下時計回りに配置している。
まあ十二支は時計並びに置きたいよね、しょうがないね… (本当は何かちゃんとした理由があるんだと思うけど、今回は調べても分かりませんでした無念)
【18.09.03追記】
天球を北極星から見下ろしたとき、太陽の日周運動は時計回りになるのでこれに従ったっぽい?
で、この図をさっきの十二次の図と合体させてみる。よいしょー
時計回りの十二辰と反時計回りの歳星さんが混在しててこれはちょっとよろしくない。
でも天体である歳星が動く方向は変えようがないし、十二辰はどうしても時計回りに置きたい。さあどうしよう!
そこで考えられたのが「太歳」。歳星と同じ速度で天球上を時計回りに進む―というキャラを設定された仮星、つまり実際には存在しない星。
なんと木星は本人の知らないうちに架空の弟(?)を設定されてしまったのだ。鏡像だからどっちかっていうと双子とか鏡音リンレン的なアレかな。
ともかく歳星さんと太歳さんの関係を図にしてみる。
歳星と太歳の交差する地点は暦法によって違うらしいんだけど(ここも調べきれず…)、とりあえず手元の本に従って丑と寅の間、未と申の間を交点とした。
歳星が丑の方位にある年は太歳は寅の方位にある(という設定)。この年が寅年となり、「摂堤格」とも呼ばれる。以下、「単閼」「執徐」…と、時計回りに年に名前が付けられた。
この辺も歳星さんと太歳さんの位置関係で混乱したので、頑張ってアニメにしてみた。
オレンジの線を対称軸として、鏡に映したように線対称に天球上を移動していく。
この太歳の動きを追っていけば、十二支に完全対応した形で年を数えていくことができるよやったー!!ということらしい。
回転方向を合わせるために非実在天体を作り出すとか古代中国ダイナミックすぎる…と思った自由研究でした。頑張ったところは天球を半透明にするところと漢字を変換するところです。
ところで十二次や十二辰の図に方角が振ってあったりするけど、あれは地上の方位の十二支(北が子で南が午)と天球に割り振った十二支(丑の中心が冬至点)のそれぞれを個別に定義してから向きを合わせましたよってことでいいのかなあ…?北極星から地球を見下ろしたら上が北で下が南なんだから平面上で方角決められなくない??って理科が苦手な私は頭がパーンしてしまったので、どこかでわかりやすい解説が見つけられるといいなあ……
【18.09.03追記】
上記の疑問についてたぶん解決?
まず、十二次は黄道を12等分したもの!ということで黄道平面上から見て北極星のある方向は冬至点の方(地軸が倒れてる方向)なので、星紀(丑)の方角が北にあたる。
さらに星座による天のエリア分け(二十八宿)が絡んで星紀(丑)の中心~降婁(戌)の中心、つまり冬至点から春分点までのエリアが北方エリアとされる。
すると北方エリアの中心は玄キョウ(子)になるので、こっちが北の方角だね!ということになる。
……と考えればとりあえずは辻褄が合う、はず…?そもそも黄道面を星座基準で東西南北に区切るっていうローカルルールがあったんですねー!あと十二次の図は赤道じゃなくて黄道面だったんですねー!へー!
主な参考
■稲田義行「十二支読本 暦と運勢のしくみを読み解く」(創元社)
■とらのホームページ | 歳星紀年法っていうのは
http://www.wa.commufa.jp/tora/thedayafter/calender/saisei.htm
■平勢隆郎のホームページ | 木星と太歳
http://edo.ioc.u-tokyo.ac.jp/edo2/edo.cgi/_UvKgwvd0EV60l3H9bDUigA.html
■妖怪研究の羅盤舎 -RABANSHA- | 【第四回】天の区分け
http://rabansha.web.fc2.com/_userdata/archive_2014/note-fortune004.html
■魏志倭人伝をそのまま読む | 『古事記をそのまま読む』に関連する資料
http://himiko-y.com/scrp1/sankou.html